レゾナックナウ

第3回:挑戦と逆転のアドレナリンカーブ。挑む者が見る景色とは?

2026年03月16日

 

社長も部長も先輩も、新人だった日々がある。 あなたや私と似た悩みを感じていたこともある。チャレンジする環境を大事にしているレゾナックで、さまざまな経験や出会いを通して、壁を乗り越えてきた人々の過去を紐解く連載企画「リーダーのナナメ横顔」。

今回のリーダーは、多業界でキャリアを築いてきたレゾナック・ホールディングスCFO、染宮秀樹(そめみや ひでき)。数々の逆転劇を経て、「失敗」と「アドレナリン」をテーマに自らのキャリアを語るその背景には、挑戦を繰り返した人生がある。

植木屋の跡継ぎにはなりたくない

染宮の人生の原点は、栃木県小山市での日々にある。実家は造園業を営み、家業の跡継ぎとして期待されていたが、染宮自身は「もっと広い世界で挑戦したい」という想いを抱いていた。

この想いが決定的なものとなり、大学進学を機に地元を離れ関西へと飛び出した。 

大学時代は体育会に所属し、ラグビーに明け暮れる日々。そこで得た仲間は一生の財産と語るが、没頭するあまり「4年生の時は一度も授業に出ませんでした(笑)」と振り返る。

試行錯誤の20代

卒業後は、体育会の先輩からの誘いを受けて、証券系のシンクタンクへ就職。研究員として一歩を踏み出したものの、課された最初のレポートで失敗し、「ダメ新人」の評価を受けることになった。結果、その後3年間にわたって新聞記事の切り抜きを活用した統計レポート作りを専任で担当するという、苦しい期間を過ごす。

しかし、染宮はこの業務を通じて工夫を重ね、自分なりの効率的なデータ活用法を編み出した。3年目にはついに自らの作成したレポートが認められるようになり、「自分の領域を極めることで道が開ける」という重要な教訓を得る。また、この時期に他の研究員がほとんど手をつけていなかった債券格付けというニッチな分野で活路を見出し、自分の専門性を築く道を切り拓いた。 

こうして、染宮は失敗を単なる挫折ではなく、学びの機会と位置付けてきた。そして、挑戦と成長を繰り返す中で感じる自身の高揚感を「アドレナリン」と表現し、「働くモチベーションは、累積アドレナリン分泌量の最大化である」と語る。挑戦から得られるやる気と達成感が染宮のキャリア選択を突き動かしてきた。

染宮のビジネスキャリアとアドレナリンカーブ

転職という決断―投資銀行へ

その後、米国留学を経て、株主資本主義に触れた染宮は、買収ファンド事業の可能性に着目。

帰国後、買収ファンド事業への進出を会社へ提案したが、却下される。このできごとを機に、染宮はより業務範囲の広い投資銀行への転職を決断した。

当時、第一子が生まれたばかり。投資銀行業務の過酷さは染宮も知るところだったが、「1年間だけは何があっても我慢してほしい」という妻との約束を背負い、リスクを承知で新しい環境に飛び込んだ。

日本企業の変革を支えた日々―投資銀行家としての挑戦

1999年、染宮は投資銀行でのキャリアを歩み始めた。投資銀行とは、M&Aや資金調達などを通じて企業の課題を解決する、いわば「会社の外科医」だ。 彼が手掛けたのは、家電メーカーの大型買収など、日本の電機業界の変革を支える数々のディールだった。厳しい交渉、短期間での意思決定が求められる日々の中で、染宮は「企業は戦略的価値をいかに長期的に生み出せるか」を問い続けた。

「30代前半の頃は週に3日は会社に泊まり込んでいました」と語るほど猛烈に働いた日々だった。 しかしその成功の陰には、数々の困難も待ち受けていた。2008年のリーマンショックで業界全体が揺れ動き、ある案件では、顧客企業にとって最善と確信する自らの提案が採用を逃し収益機会の案件を落とすという苦い経験を味わう。社内から厳しい批判を浴びせられる中で、染宮は事業の当事者ではなく、あくまで外部から関与する投資銀行家としての限界を痛感せざるを得なかった。

「今しかない」が背中を押した、ソニーでの挑戦

2015年、投資銀行の第一線を退いた染宮は、自分自身の価値観と一致する形でクライアントとの関係を構築できるアドバイザリービジネスを始めようとしていた。

しかし、関係者へのあいさつ回りをしていた最中、思いがけない声がかかる。ソニーの吉田憲一郎CFO(現:ソニーグループ会長)から「その仕事はもっと年を重ねてからでもできる。今こそ私たちを手伝ってほしい」という提案を受けたのだ。 染宮は当時47歳。

「自分が意思決定者として走れるのは、今しかない」という思いが湧き上がり、ソニーへの転身を決意。翌年には、同社の半導体事業のCFOに就任。改革に真正面から挑んだ結果、同事業は過去最高益を達成するという輝かしい成果を挙げる。 

さらに、2019年には新設されたシステムソリューション事業部の事業部長として、新規事業の立ち上げに尽力。ソニーのイメージセンサー事業を単なるハードウェアビジネスからソリューション事業へと変革させるミッションに全力を注いだ。

レゾナックで実感する“史上最大のアドレナリン”

染宮が次に選んだステージは、昭和電工(現:レゾナック・ホールディングス)。

きっかけは、同社による日立化成の9,640億円規模の買収だった。「小が大を飲む」と話題となったこの買収の背景には、成長事業を取り込み会社を変革する狙いがあった。 この案件を、染宮は当初「自分がCFOなら止めていた」と語るほど否定的だった。だが、髙橋秀仁(当時 昭和電工常務CSO、現 レゾナック・ホールディングス社長CEO)の熱意が、彼の心を動かす。

「10年に一度の成長機会を逃してはならない」「これくらいやらなければ昭和電工は変われない」と熱く語り、「一緒に会社を根本から変革してほしい」と誘った。 

その熱意に、自身の「日本の製造業を再生したい」という想いが呼応した。 2021年、染宮は昭和電工に参画。 「今、レゾナックで感じるアドレナリン分泌量が自分史上最大」と語る彼の挑戦はいまも続いている。

※本記事は、当社公式note(RESONAC(レゾナック)|note)に掲載した内容を再編集したものです。記載内容には公開当時の情報が含まれるため、現状と異なる可能性がある点をご承知おきください。

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