レゾナックナウ

第1回: 競争と勝ちが好き。信念を貫くネアカなCEO

2025年12月19日

社長も部長も先輩も、新人だった日々がある。 あなたや私と似た悩みを感じていたこともある。 チャレンジする環境を大事にしているレゾナックで、さまざまな経験や出会いを通して、壁を乗り越えてきた人々の過去を紐解く連載企画「リーダーのナナメ横顔」。

一人目のリーダーは、銀行員から外資企業を経て製造業に飛び込んだレゾナック・ホールディングス代表取締役社長CEO髙橋秀仁。”ネアカで圧倒的な自己肯定感が強み”と笑う髙橋はどのように夢を見つけたのか?

異彩を放つピンクシャツの先駆者

「ルールに目をつぶって従うことはしない。めちゃくちゃ浮いてましたけどね。気にしない性格です」 大学を卒業後、1986年に旧三菱銀行に入行。新入社員研修で、同期が決まりごとのように白いワイシャツを着ていた中、髙橋はピンクのボタンダウン。今でこそ、自由な服装を推奨する企業が多いが、当時の日本にそのような文化はほとんどなく、特に銀行は堅い業界だ。「人事担当者が私のメンターを呼び出して注意をしていました。しかし、彼の返事は『全員にピンクのシャツを着せます。これで目立ちませんね』でした」。そのメンターは、国際部門のエース。「そういう立場の人が発言してくれるとやっぱり周囲の反応は違う。感謝しているし、憧れ。こういうリーダーになりたいと思いました」。もちろん、注意すべき場面ではきちんと締めた。髙橋は唯一、紙幣を数えることが苦手だった。「いずれ機械がやるから練習しても無駄」というと、さすがに叱責された。 また、銀行業務はマニュアルが多かったが、髙橋が目を通したのは、ルールを逸脱しないよう最低限の範囲だった。「何が正しいのか、なぜやるのか、他にもっと良いやり方があるのでは、と常に考えていました。反発するということではなく、自分の頭で考えることが大事です」。

順風満帆な道中で待ち受けていたもの

就職先に銀行を選んだのは、留学の道が開かれているからだった。髙橋は高校生の時に「世界が見たい。国立大学に現役合格できたら留学させてほしい」と親に交渉し、東京大学在学中にアメリカ・ニューヨークにあるコロンビア大学に留学。そして、そこで一種のカルチャーショックを感じた。「アメリカでさまざまな事情を抱えた人々と出会い、自分の視野の狭さ、日本がいかに平和で恵まれているのかを実感しました」。また、ニューヨークの街に漂う弱肉強食感にも刺激を受け、もう一度この地に戻りたいと考えていたという。 そして、社内競争を勝ち抜き、MBA留学の切符を手にした髙橋は、再びコロンビア大学の門をくぐった。「根っからの負けず嫌い。競争も好きです。アメリカでも”この人たちに勝てる”ってずっと思っていた。卒業証書はもちろん成績優秀者として壇上で受け取りましたよ」。

だが、全て思い通りにはいかなかった。卒業後もこのままニューヨークで働くことを期待していたが、会社から命じられたのはシンガポールへの赴任。「挫折」が頭をよぎった。しかし、気持ちとは裏腹に、この地での経験が後に抱く夢のピースとなる。

異国で見た日本の光と影

シンガポールに赴任した90年代初頭、日本企業が東南アジアに次々と工場を建てていた頃だった。髙橋はそういった企業の現地進出などを支援。「日本の製造業の凄さを知りました。技術が一流。東南アジアの人たちみんなが日本の技術とそれを作った日本人を尊敬していたんです」。髙橋自身も誇らしさを感じた。 駐在6年目を過ぎたころ髙橋に再び転機が訪れる。「もっと専門的な仕事がしたい!」と会社に伝えたことで、念願のアメリカ赴任が決まった。「やりたいことがあって後悔したくないなら、口に出さないとね」。アメリカではM&A専門会社へ出向し、日本企業がバブル期に買った資産の売却を支援。シンガポールとは真逆のような業務だ。髙橋はここで日本企業の経営に課題があることを痛感する。「なぜこんな買収をしたのだろうと、首をかしげてしまう場面が多々あった。一流の技術を持った企業でも、非合理な経営で傾いてしまっている。怒りがこみ上げてきました」。

39歳の決意。日本の技術で世界と戦う!

「ファンドを成立させるには”お金を集めて投資する人””中間的なリスクを取り支援する人””経営をする人” の3つの要素が必要だ。あなたはどれがやりたいのか?」 ある日、出向先の社長が髙橋に訊ねた。これが人生を左右するターニングポイントとなった。髙橋は「経営」を選択。シンガポールとアメリカでの経験が髙橋の心を動かした。「日本人は優秀なのに、なぜ日本企業は世界で戦えないのか?その答えを出したいと思っています」。そして、”日本の技術を武器に、世界で通用する会社をつくる”夢を持った。その後、経営を学ぶために39歳で日本GEに転職。メーカーが若手以外の人材を中途採用しない時代だった。それでも、数社を経て2015年に昭和電工(当時)に入り、7年後の2022年、社長に就任する。「社長になることはゴールじゃない。ここからがスタートです」。負けず嫌いの髙橋は経営者としての覚悟と信念を持ち、レゾナックを世界に導いていく。 髙橋は従業員に言い続ける。 「私は失敗を失敗だと認識しない。”引き出し”と呼んでいます。うまく行かなかったことがあったら、ひとつ引き出しが増えたってこと。変化を恐れず、チャンスをつかんでほしい」

 

※本記事は、当社公式note(RESONAC(レゾナック)|note)に掲載した内容を再編集したものです。記載内容には公開当時の情報が含まれるため、現状と異なる可能性がある点をご承知おきください。

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