レゾナックナウ

偶然が生んだ、常識はずれの”ピカピカ”銀コーティング

2024年06月13日

開発のきっかけは車のエンブレムだった。

後に、この技術は様々な分野から連絡が舞い込むことになる。

ひと目見るだけでブランドやメーカーを特定できる車のエンブレムは、その車をつくった企業の「顔」だ。

近年、自動車メーカーはある悩みを抱えていた。

それは、エンブレムを「ピカピカ」にすればするほど、エンブレムの背面に設置される自動運転支援のセンサーが機能しにくくなるということだった。

今回のUNSUNG LEADER(知られざるリーダー)は、レゾナック・オートモーティブプロダクツ九州事業所の森原潤美。彼女は、業界の常識を覆し、「ピカピカ」と「センシング機能」の両立を実現させた。

この発明にたどりついたのは、ひょんなことがきっかけだった。

レゾナック・オートモーティブプロダクツ九州事業所 森原潤美

エンブレムに求められる「輝度」と「ミリ波透過」

自動車メーカーは企業の「顔」であるエンブレムに対して、デザインはもちろん、パッと見た瞬間にピカピカで美しく見えるよう、表面加工にも工夫を凝らす。とりわけ重要なのが、金属の色合いと、輝きの度合いを決める「輝度」だ。

これまで、表面加工には、輝度が高い「クロムメッキ」が使われてきた。

ところが、クロムメッキは、自動運転技術の際に必要となる「ミリ波」と呼ばれる車間などを検知する電波を通すことができない。そこで、自動運転機能が搭載された車のエンブレムの塗装には、「インジウム」という金属が活用されるようになった。

しかし、インジウムを使い続けることにも、課題があった。

インジウムは、採掘・精錬のコストが高く、流通量が少ないレアメタルに分類される。大部分を輸入によってまかなっているため、今後も安定的に入手し続けられるかはわからない。また、製造工程において、人体に悪影響を及ぼす物質が発生することもあり、徹底した作業環境が求められる。そして、輝度がクロムメッキよりも低い。

自動車メーカー社員のある一言が始まり

自動運転技術を搭載するためには、インジウム加飾のエンブレムがほぼ独占している。ほかの材質ではインジウムで出せる輝度を超えることができないので、ほかの選択肢がなかった。 それが、業界の常識だった。

だから、とある大手自動車メーカーが、森原にこんな言葉をもらしたのだろう。

「クロムメッキくらいピカピカしていて、ミリ波も透過させる金属膜があったら、すごいよね」

この一言が始まりだった。

「簡単にできる」と思っていたが…

森原は「ピカピカ」と「ミリ波透過」を両立させるために、Ag(銀)コーティング技術に着目し、2018年から研究開発を本格化させた。

森原はこれまで、いくつも特許出願するような技術を開発してきた。今回も「なんとかなるんじゃないか」と、考えていたという。

だからこのとき、自身がこの研究開発に1年半の歳月を費やすとは、つゆほどにも思っていなかった。

工場の片隅で繰り返した試行錯誤

森原の研究室は、工場の一角にある。

ビニールカーテンで仕切られた8畳ほどの空間には、撹拌(かくはん)機、貯蔵庫、できあがった素材を測定する機械や、評価台などが並べられている。

森原はビニール手袋を手際よく身につけ、薬液を調合していく。

「あらゆる添加剤、薬液の添加量や濃度、pH(溶液中の水素イオンの濃度)を変えるなど、いろんな組み合わせで実験を繰り返しました。因子を少し変更するだけで、膨大なパターンが生まれるんです。それを、一つひとつ潰していきました」

 

小さな変化を加えながら、検証を繰り返す日々。

「ミリ波を通せたと思ったら、金属の色が黒い。きれいなシルバーになったと思ったら、ミリ波を通さない。その繰り返しでした」

一度、ミリ波を通せるようになった段階で、クライアントに見せたことがあった。しかし、返ってきた答えは「黒いですね」。

それからも、研究を進めるが、月日が流れても、「ピカピカ」と「ミリ波透過」を両立できないという状況はまったく変わらなかった。

「素材に含まれている、金属の粒子を大きくすれば、シルバー色になるという原理はわかっていたんです。でも、その粒子が大きくなりすぎたら、今度はミリ波が通らない。その加減が難しくて、毎日、毎日、粒子を大きくしたり、小さくしたりしていました」

研究生活を支えてくれたのは…

開発を始めてから、すでに1年が経とうとしていた。

「どれだけ続けても、解決の糸口どころか、何も変化が見られないんです。だんだん心が続かなくなってきて……」

脳裏には「この開発は不可能なのでは」とネガティブな言葉がよぎった。

そんな森原の様子を心配した設計部のメンバーは、頻繁に声をかけた。森原自らが仲間に意見を求めることもあった。

そうして始まる部内の不定期ミーティングは2週間に1回程度に。異なる視点からのアドバイスは、孤独になりかけていた森原にとって、とてもありがたかった。

ミーティングが終わると、再び研究室に戻り、薬液の組み合わせを考えた。これだけ長く取り組んだからには何か形を残したい。簡単に成果は出なくても、明日は何かが変わるかもしれない。そう信じながら……。

 

チームメンバーと。前列右から3番目が森原

偶然の発明「できた、のか……?」

「あれはたしか、2019年5月の末くらい」

森原の上司にあたる設計部の藤野浩明は、当時を思い出し、こう語る。

「お昼休みが終わったころでした。きょうは眠いなぁ、なんて思っていると、森原さんから声をかけられたんです。『できました』と。思わず、目が覚めましたね。すごくきれいなシルバー色だったんですよ」

しかし、森原の表情は、どこか浮かない。

「シルバー色にもなって、ミリ波も透過していました。けれども、そのときはどうしてそうなったのか、わかっていなかったんです」(森原)

その後、レシピをもう一度見直すと、あることがわかった。

それは、「絶対に欠かせない」と思っていたプロセスの一つを、完全に飛ばしてしまっていたのである。

この変化点に気づけたことが、結果を出す、大きなきっかけとなった。

これまで、数千通りのレシピから培った感覚による金属膜の微妙な挙動から、プロセス飛ばしのレシピを元にさら深堀りをはじめた。

そしてついに、できた。

その結果を上司にみせたのである。

この改良されたレシピとプロセス通りに、金属膜を生成すると、再び、シルバー色かつ、ミリ波も通す金属膜が現れた。

もう一度、試した。

できた。

もう一度……。

できた。

もう一度……。

「あぁ、本当にできたのかもしれない……」と森原は思った。

森原(左)と設計部の藤野浩明(右)

住宅設備や医療機器にも広がるニーズ

「それからも1年ほどは、自分が出した結果を信じられなかった」と森原は言う。しかし、彼女が発明した新技術「Agコート」はいま、さまざまな業界で注目を浴びている。

「完成した2019年はコロナ禍で、クライアントに実物を見ていただける機会がありませんでした。オンライン上で説明しましたが、PC画面ではこのピカピカやくっきり感がうまく伝わらなくて……」

しかし、レゾナックのホームページでAgコートが取り上げられて以来、問い合わせが相次ぐようになった。

残念ながら、自動車用エンブレムは、自動車のデザイントレンド変更により、「Agコート」技術を用いたミリ波透過エンブレムのニーズは現状薄まってしまったが、エンブレム以外の用途において、自動車メーカーをはじめ、住宅設備機器、医療機器と、当初の予想を超える領域で、Agコートの用途は広がりを見せている。「たくさんの業界で必要とされている。いまが、いちばんピカピカ。」と、森原は笑う。

Agコーティングされた表面は、シャープペンシルの芯もくっきりと映し出す

そして現在、研究開発者の森原は毎週のように全国を駆け巡り、営業に出ている。二足のわらじを履くことで、「興味をもってくれた会社がどのようにAgコートを活用したいか、お客様の声を直接聞くことができるので、開発のアイデアになります」と話す。

常識を覆す「次のターゲット」は

Agコートは、クロムメッキと同等の輝度を持つ。どんな物でもくっきりと反射させることから、今後、活用が期待されているものの一つが、ミラーだ。

「次は、ミラーの常識を超え、近未来想像をカタチにすることができるこの技術でイノベーションを起こしたいと考えています。」

Agコーティング技術は日本全国から引く手あまただ。

みんな、彼女が次に覆す「業界の常識」を、心待ちにしている。

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